弱い自分も愛せる

みなさんは自分のことが好きですか?

私は自分のことが好きです!!

でも、もっと楽に生きれたらいいのになあと思うことがあります。

 

小学生の頃、クラスメイトが先生に怒られている時、私は毎回まるで自分が怒られているかのような気分になっていました。

機嫌が悪そうな人を見ると、自分のせいかもしれないと居ても立っても居られなくなります。

また、夜に勝手にひとり反省会を開いてしまい、今日友達に言ったあの言葉大丈夫だったかな?傷ついてしまってないかな?と考え出して不安でいっぱいになることもしばしば。

 

人といると気疲れしてしまうので、学生の頃は遊ぶ予定を連続で立てられなくて、「この日は友達と遊ぶから次の日は家でゆっくりしよう〜」と何もしない休みの日を作るほどでした。

時間も体力も余裕がある学生だったのに、休みの日は「考えること」から逃げるように眠りました。

 

最近、なぜこのような気質になったのか考えるようになりました。

生まれ持った性格もあると思いますが、幼少期の教育がルーツなのではないかなと思います。

 

私は幼少期、シュタイナー教育を取り入れた幼稚園に通っていました。

シュタイナー教育では「人間形成には想像力や表現力や芸術感覚が大きな役割を果たす」と考えられています。

 

例えば、園にあるお人形さんには顔がありません。なぜ顔がないのかというと、子供たちに自由に表情を想像させるためです。

また、テレビを見ること、キャラクターものを身につけることはあまり良しとされていません。映像やキャラクターなどのイメージが固定されてしまい、想像力の育成に制限をかけてしまうからです。

このように、シュタイナー教育では自由な想像力を養うことが重要視されています。

 

そして何より、シュタイナーの幼稚園はすごく優しい世界なんです。

淡いピンクの布やふわふわの綿が教室にぶら下がっていて、子供たちはすごくメルヘンな空間で過ごします。

とってもおだやかな先生たちばかりで、優しくささやくように子供たちに話しかけます。

降園のときは列になって順番に先生とぎゅーっとハグしてから帰ります。

一度友達に意地悪を言って先生に怒られたことがあるのですが、怖い顔で怒鳴るのではなく、お人形さんを腹話術みたいに使って、まるでお人形さんが喋っているみたいに、優しく指導してくれるんです。

 

私はそんなシュタイナー教育が合っていたのか、のびのびと過ごしていました。

しかし、シュタイナーで育ったならではの壁に初めてぶつかる時がきたのが、小学校の入学前テストでした。

今でもよく覚えています。近所の中学校の一室で自分の名前を紙に書いてと言われました。

私は書けませんでした。

子供ながらに、すごく恥ずかしいと思いました。

 

シュタイナー教育を取り入れている幼稚園では、文字の読み書きといった「勉強」は行いません。

そして競争も行いません。私の幼稚園では、運動会はありませんでした。

だから小学校に上がって、友達と鬼ごっこをするとき、勝ち負けを決めるという意味が分からなくてどうして私は走ってるんだろう?と走るのをやめていました。

 

個人的にシュタイナー教育を受けていて良かったなと思っています。

人から「変わっているね」とよく言われるのも、独自の感性や想像力、色彩感覚を育めたのも人間形成が行われる幼少期に、この教育を受けていたからだと思っています。「自分らしさ」の根源がここにあると思っています。

 

しかしシュタイナー教育を終え、一般社会へ出たときに、生き辛さを感じるようになったのも事実です。 

 

本の学校社会では、どうしても他人と足並みを揃えるスキルが求められがちです。

個性を重視するシュタイナーで育った私は、「他の人と自分って何か違うかもしれない」という違和感を抱えて過ごしていました。

しまいには「発言したらおかしい人と思われるかもしれないから黙っておこう」と自己を抑え込む癖もついてしまいました。

また他人と競争し、評価されることにも抵抗を感じていて、不戦勝ならぬ「不戦敗」みたいな場面を何度も経験してきました。勝負事に本当に弱くて、部活も楽しめませんでした。

この経験が自己肯定感の低さに結びついていったと思います。

また想像力の豊かさも、良い想像ならいくらでもすれば良いのですけど、私の場合「この人はこう思っているかもしれないからこうしないといけない」とか、悪い想像の方へも働くようになってしまいました。

 

シュタイナー教育は、将来的に芸術やものづくりに関わる仕事に就く人や、シュタイナーの思想が根付いている国や、個性が尊重される国で暮らす人には最適な教育だと思います。しかし、この日本社会には適応しにくい、というのはあります。

 

全員がそうではないです。

でも私や私の周りのシュタイナーで育った人間に言えることなのですが、

すごく優しい世界で育ったから、優しくない世界にめっぽう弱いんです。

そしてそれを割り切る器用さよりも、そこに真正面から向き合う真面目さの方が身についているから、それも相まって、苦しいと感じる機会が多い。

 

自分が問題にぶつかった時、「楽しいこと」を見つけて上手に回避したりストレスを発散したりする人もいます。私はそれが本当にできない。

他人が問題にぶつかった時、「気にしない」技を使って上手に自分を保つこともできない。

他人が苦しいときは、私も苦しい。

優しくない出来事への対処が下手くそ。

心に負荷がかかってしまう。

生きるのが下手。

 

でもそんな自分もだんだん愛せるようになりました。

人の弱さを愛せて、人に痛みを分けてと言える自分が好きです。

優しくない世界に弱い自分は、脆いですが、優しくて強いと思います。問題に正面から向き合える勇気があるということだから。

 

そんな自分を肯定しつつ、これからは割り切る、少し肩の力を抜く、を覚えたい。

大真面目に全ての問題と向き合うにはこの世界はスリルがあり過ぎるから。

優しさに漬け込む人間まで愛そうとしなくていいんだよ。

自分こそ自分の味方でいてあげないと。

自分こそ自分に優しくしてあげたいです。

 

もしシュタイナー教育の導入をご検討されている保護者の方がこのブログに出会うことがありましたら、メリットの部分だけでなく、デメリットの部分も考えて、将来の環境を踏まえ長いスパンで教育計画を立てるなど、もう少しよく考えてみても良いのではないかな!と思います。ご参考までに!